葵祭

今年の葵祭は土曜日となり、晴天にも恵まれ87,000人の人出だったそうです。
葵祭というと行列、すなわち「路頭の儀」が注目されますが、それは祭の一部でしかありません。
画像

葵祭=賀茂祭の起源は6世紀、国中の風水害が賀茂大神の祟りとされ、それをおさめるため祭を行い馬を走らせたことにあります。
平安時代には勅祭とされ、皇族である斎王が祭に奉仕するようになります。現在はその代わりとして「斎王代」が祭のヒロインとなっています。
画像

勅使の一行、天皇からの使者です。本物の勅使は行列には参加せず、ある華道の家元が代理を務めています。
画像

平安京のできる前からこのあたりを支配していた豪族が賀茂氏、そこに平安京が遷都してきたわけです。
平安時代となって賀茂祭が勅祭となり、9世紀半ばには賀茂祭の儀式次第が定められ、壮麗なる祭儀の完成を見ます。祭の日には都は人であふれかえったそうです。
画像

古代の賀茂一族の祭に天皇が深く関わり、雅びやかで盛大な祭となっていったわけです。
“都が全力を尽くした行列”という言い方がありましたが、朝廷から賀茂氏の氏神への敬意を表すものだったということでしょう。
画像

行列は河原町通を北上し、下鴨神社に向かいます。ここで行われるのが「社頭の儀」、勅使が御祭文(ごさいもん)を奏上し御幣物を奉納します。
あわせて糺の森で馬を走らす「走馬の儀」が行われます。馬を走らせるのは賀茂祭走馬保存会の人たち。
画像

下鴨神社を出た行列は北大路から賀茂川沿いを通り、上賀茂神社を目指します。
画像

これらの写真は御薗橋を渡る行列、絶好の撮影ポジションを確保できました。
画像

斎王代の乗り物は腰輿(およよ)と呼びます。
画像

上賀茂神社に到着、行列の大半はここで解散です。牛車もすでに撤収モード。
画像

行列は終了しても祭はまだまだ続きます。
このあと二の鳥居の中で「社頭の儀」、勅使が御祭文を奏上するほか、舞の奉納などが行われます。
画像

社頭の儀を終えた勅使。こちらは宮内庁から遣わされた本物です。
画像

上賀茂神社でも最後に「走馬の儀」が行われます。馬に乗るのは「乗尻」と呼ばれる賀茂一族ゆかりの人たち、古来の賀茂悪馬流という馬術を伝えてます。
画像

神の前で馬を走らせることで、神に喜んでもらうという古代からの荒々しい祭の姿がここにあります。
葵祭は馬で締めくくられるのです。
画像

上賀茂神社から北を眺めると、別雷神(わけいかづちのかみ)が降臨したとされる神山の姿がありました。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

2010年05月18日 12:06
堺町御門ですか?そこからの牛車出てくる様子がとても素敵ですね。人が多いので撮るのも大変だったでしょうが、雰囲気のある写真、楽しませて頂きました。有難うございます。
MI
2010年05月18日 22:54
お天気でよかったですね。写真もとってもきれいです。詳しい解説でほんとうによくわかりました!!
celica
2010年05月18日 23:49
本当に綺麗ですね。和風ながら色彩感に溢れていて素敵です。平安当時の被服と言えば、素材は麻か綿で高貴なお方は絹も着用しておられたでしょう。それから色合いを出す染料・顔料も自然のものだけでしたので、写真の様な鮮やかな色合いを出すのには苦労をしたことと思います。
2010年05月20日 00:04
>みずがめさん
その通り、堺町御門の前からです。1時間ほど前から場所確保しました。そのあと下鴨神社付近ではなかなか中に入るのも困難でした。
上賀茂神社では社頭の儀を少しでも見るために有料席に入ればよかったと悔やんでいます。
2010年05月20日 00:08
>MIさん
上賀茂神社で走馬の儀が撮れなかったのが残念で・・・
その直前にバッテリーが切れてしまいました。
その代わり肉眼でしっかりと見ましたが、かけ声も勇ましく、迫力ありましたよ。
2010年05月20日 00:10
>celicaさん
さすが繊維の専門家!
斎王代の衣装は西陣織、人間国宝の手によるものです。新緑の季節には衣装の色彩が一層鮮やかです。