京都にも空襲があった!?

第二次世界大戦で東京、大阪をはじめ各都市が空襲を受ける中、京都は空襲を受けていない。それは京都に文化財がたくさんあるから、米軍が爆撃の対象としなかった・・・という説はわれわれの年代にはいつ頃からか刷り込まれており、私も信じていました。
しかしあったのです。西陣界隈に住むようになって京都の空襲のことを知りました。大きなものとしては「馬町空襲」と「西陣空襲」、智恵光院通と下長者町通が交わるあたり、その西陣空襲を記録する碑があります。
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その碑によれば米軍の爆弾は智恵光院通を中心に7カ所に落ちており、人的被害は死者43名、負傷者66名、被災者850名だそうです。
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こちらは下立売通にある「山中油店」、文字通りあぶらを売る老舗、伝統的な京町屋です。
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この店先にも西陣空襲についての展示があります。
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これは西陣空襲の時、山中油店に落ちてきた爆弾の破片だそうです。
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調べてみると、京都が爆撃の目標にならなかったという事実はなく、逆にそれまで空襲の被害がなかったことや地形上の特徴から、新型爆弾の威力を測りやすいとされ、原爆投下の第一目標であったという衝撃の記述を見つけました!
京都が目標からはずされたのは6月末、知日派の陸軍長官による「天皇に関係の深い、古くからの都を原爆で破壊すれば、日本人の怒りは広島以上に根強く残り、その後の占領政策や日米関係に少なからぬ影響を与える。」という考えに京都は救われたのでした。

西陣の空襲は1945年6月26日の午前中です。

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この記事へのコメント

celica
2009年06月26日 22:17
初めて知りました。
原爆でさえ候補地だったとは..
世の中、一歩間違えば、その先は随分と変わるものですね。
いぅこ
2009年06月27日 20:16
驚きの記事です。京都が原爆の候補地だったなんて想像するだけでも恐ろしいです。今はアメリカ合衆国japan stateみたいな感じでアメリカの配下となっていますけど、もし京都に原爆が投下されていたらかなり根強い反米感情が残り、全然違う現代になっていたのでしょうね・・・。